勝沼・月の雫作り
江戸時代、甲州の珍菓とされていた「月の雫」。
当時甲州ぶどうを江戸まで運んでいくと、なんと1かご(確か6か8キロだったかな?)一両になった
そうで、そのぶどうにこれまた貴重であったであろう砂糖をまぶした「月の雫」。
当時庶民の口に入ることは無いほど高級なお菓子だったようです。
私は生まれも育ちも甲州市なので、「月の雫」は珍しいものではなくて、小さい頃から食べていたと思い
ます。でも、その味は砂糖で甘いだけでなんだかお年寄りが食べるもののような気がしていました。
その「月の雫」を作るので参加してくださいと町の歴史の先生からのお誘いで、一昨日体験してきたので
すが、初めて目にする月の雫作りは、それはそれは魔法の様でした。
江戸時代の菓子職人さんの知恵と技、お見事です。
で、夕べ家でも主人と子供に手を借りながら(凄く力のいる作業なんで)作ってみました。
仕上がりは体験の時とはなんだか違うけど、これを食べていた江戸の時代を想像しながら口に入れる
月の雫は、私の中でただ単に甘いだけの砂糖菓子ではなくなっていました。
当時甲州ぶどうを江戸まで運んでいくと、なんと1かご(確か6か8キロだったかな?)一両になった
そうで、そのぶどうにこれまた貴重であったであろう砂糖をまぶした「月の雫」。
当時庶民の口に入ることは無いほど高級なお菓子だったようです。
私は生まれも育ちも甲州市なので、「月の雫」は珍しいものではなくて、小さい頃から食べていたと思い
ます。でも、その味は砂糖で甘いだけでなんだかお年寄りが食べるもののような気がしていました。
その「月の雫」を作るので参加してくださいと町の歴史の先生からのお誘いで、一昨日体験してきたので
すが、初めて目にする月の雫作りは、それはそれは魔法の様でした。
江戸時代の菓子職人さんの知恵と技、お見事です。
で、夕べ家でも主人と子供に手を借りながら(凄く力のいる作業なんで)作ってみました。
仕上がりは体験の時とはなんだか違うけど、これを食べていた江戸の時代を想像しながら口に入れる
月の雫は、私の中でただ単に甘いだけの砂糖菓子ではなくなっていました。